Bocuse d'Or - Selection Nationale Japon
ニュース ボキューズ・ドール概要 日本ボキューズ・ドール委員会 日本代表 スポンサー コンタクト
submenu

ボキューズ・ドールの歴史

第1回ボキューズ・ドール国際料理コンクール開催
1983年、ボキューズ・ドール国際料理コンクールの母体となる「SIRHA/シラ国際外食産業見本市」の前身「食品産業見本市」が初めて開催される。ガストロノミーの街、フランス・リヨン。この美食の都で国際的なイベントの開催を望んだ人々の熱意で始まったこの見本市は第1回から500出展社と5万人を超えるビジターに恵まれる。そして、ポール・ボキューズが見本市の名誉会長に選ばれたのである。

1987年1月24日、このリヨンのイベントに盛り上がるプロ達に魅かれたポール・ボキューズは、この地での世界料理コンクールの開催を呼びかけた。
「プロの間で開催される多くの料理コンクールがあるのに、公衆の目の前で繰り広げられるコンクールはない。調理ブースを作り、世界中の若いシェフ達に料理を競わせ、審査員達にはガストロノミー界のスターを集めよう。そして、全てを観客席の目の前で行うのだ。」
これがボキューズ・ドール国際料理コンクールである。

この話を持ち上げるやいなや、ポール・ボキューズは世界中で活躍している友人のシェフ達に声を掛け、国際大会への足がかりを作った。そして、各国が代表選手を選出し、選抜委員会の責任者はボキューズ・ドール本選の審査員として参加する制度を確立したのである。これはまさにシェフという職業の魅力を分かち合う友人達のつながりから生まれたものであった。

初回からの注目度も高く、幕があがったときには多数の観客と450人ものジャーナリスト、20を超えるテレビ・ラジオ局がこのコンクールを見るために集まっていたのである。

この第1回の大会委員長はジョエル・ロブションが務め、20カ国が参戦した。また審査員として参加したシェフは名だたる面々であった。
サッカースタジアムのように熱気に包まれた観客席はサポーター達の歌や叫び、国旗で埋まった。そして、カメラマンやテレビカメラが審査員達の前に置かれた選手の作品の前を幾度となく行き交ったのである。

ポール・ボキューズが金賞のシェフの名を読み上げる時、会場の熱気は最高潮に達した。見事第1回の栄光を勝ち取ったのはフランスのジャッキー・フェオン。彼は、ガストロミー界のスターとして輝かしい名声を得る第一歩を踏み出したのであった。

世界中の食文化に触れ合う絶好の機会として、ボキューズ・ドールは、今日では、美食イベントの代名詞となっている。
「ボキューズ・ドール アカデミー」も設立され、コンクールの全ての入賞者が名を連ねる。レジス・マルコン氏やミッシェル・ロッツ氏なども一員である。

 

(C) 2006 Bocuse d'Or